昭和から平成へ [社会]
1989年の1月7日、昭和天皇が崩御(死去)されました。
あれからもう26年も経ったんですねえ。(遠い目)
平成元年生まれの赤ちゃんも現在はもう社会人でしょうか。
当時を知らない世代も増えつつあるわけですが、天皇陛下が亡くなるとどうなるか、崩御の翌日の読売新聞を引用しながらご紹介したいと思います。
新聞紙面はすべて皇室関連の記事
1989年1月8日の読売新聞です。
もちろん1面から昭和天皇崩御の記事ですが、日付欄にはさっそく「(平成元年)」の表記が登場。
紙面は1〜28面まで基本的にすべて崩御、皇室関連の記事です。例外は求人広告と株価(週間市況データ)のみ。
産業界 対応に大わらわ
元号が昭和から平成に改められると、どんなところに影響があるのか具体的に記述されています。
・交通機関の切符や定期の発行日・有効期限
・電力・ガスの検診票・領収書
・コンピューター・プログラムの日付管理
・雑誌の発行日
・電化製品の保証書
・工事現場の看板の工期・許可登録日
なお、別のページでは「平成」のはんこやゴム印の注文が殺到との記述もありました。
そういえば運転免許の有効期限も元号表記ですね。
社共批判、公民は歓迎
新元号「平成」について社会党は、「国家統制と政治反動の助長につながりかねない」とのことで元号使用の強制に反対しています。
共産党も「元号法は天皇元首化・憲法改悪などの反動的策動の一環」と激しく非難、だそうです。
社会主義、共産主義からすると天皇制が認められんのは、まあ自然な流れでしょう。
昭和の終章 1・7ドキュメント
崩御されたのは06時33分ですが、一般に発表されたのは07時55分でした。
その後、皇居や日本各地で慌ただしい動きがありました。
日本各地に自粛ムードが広がりました。いろんなお店が店頭に弔意を表す張り紙をして営業してましたね。
主な流れを記事から抜粋すると、
08:00
羽田空港で場内BGMを停止、サテライトも含め広告看板の照明を消灯。
08:13
東京証券取引所の株式部長が7日の全国八証券取引所の立ち会いの臨時停止を発表。
08:15
日本中央競馬会が7、8両日の京都、中山競馬の中止を発表。
08:15
弘前中央青果ではセリを一時中断、黙祷。従業員150人は喪章をつけて業務。
08:23
国会正門に弔旗。衆参両院屋上には半旗。
08:28
長野・善光寺では山門の「賀正」の額を撤去。
08:30
福島・裏磐梯猫魔スキー場でゲレンデのBGMを停止。
09:00
山梨・富士急ハイランドでジェットコースター類の営業を中止、ホテルマウント富士での酒類の提供を中止。
09:10
北陸電力は本支店、営業所で1分間の消灯、全社員5千人が黙祷。
09:50
スケート全日本スプリント選手権大会(釧路市)で選手、役員が喪章をつけ黙祷。
10:00
米海兵隊岩国航空基地は約千人の日本人従業員に7日から3日間の特別休暇。
皇居内で新天皇の即位を告げる「賢所の儀」。
11:50
土井たか子社会党委員長が皇居で記帳。
12:30
京都・先斗町歌舞練場で芸妓、舞妓がふだん着で、静かな始業式。
12:37
皇居・坂下門の弔問記帳者は19,405人(警察庁調べ)。
13:00
高校ラグビー決勝が中止。両校優勝扱いに。
15:00
皇居・二重橋の弔問記帳者は47,140人(警察庁調べ)。
15:08
新天皇陛下が公務を終え、赤坂御所に到着。
19:00
東京・銀座ではネオンの大半は点灯しないまま。
悲しみ超え「平成」新時代
新元号の「平成」に関する記事です。
記事によると「開かれた元号」を目指し、民間人による懇談会まで開いて決められたそうです。
作家の林真理子さん:「地味だなというのが第一印象」
たしかに管理人も初めて「平成」を聞いた時、軽いというか、重みがない感じはしましたね。
もう慣れちゃいましたが。
「ガン」ご存じないまま…
記事によると陛下には「ガン告知」はされないまま、最後まで「慢性スイ炎」で通されたそうです。
また、陛下は手術の結果や今後の見通しについてほとんどお尋ねにならなかったそうです。読売新聞記者は周囲に余計な心配、迷惑をかけたくないというお気遣いだったのだろうと推測していますが、管理人も同感です。
現在だったらどうなるんでしょう。やはり病名は伏せられるんでしょうか。
テレビも全部、追悼・皇室関連番組
テレビ番組はNHK教育や放送大学を除いて、すべて特別編成の追悼番組でした。
ラジオの番組も同様です。
あの「ぶれない」ことで有名(?)なテレビ東京でさえも皇室関連番組なのはすごいです。
今上天皇が崩御された時は、テレビ・ラジオは89年と同様の対応になると思いますが、ネットの動画配信サイトはどうなるんでしょうね。
昭和天皇は歴代でもっとも長い在位期間でした。
しかしその期間中には外国との戦争、敗戦というつらい出来事があり、人知れず悩まれたり悲しまれたこともたくさんあったことでしょう。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
あれからもう26年も経ったんですねえ。(遠い目)
平成元年生まれの赤ちゃんも現在はもう社会人でしょうか。
当時を知らない世代も増えつつあるわけですが、天皇陛下が亡くなるとどうなるか、崩御の翌日の読売新聞を引用しながらご紹介したいと思います。
新聞紙面はすべて皇室関連の記事
1989年1月8日の読売新聞です。
もちろん1面から昭和天皇崩御の記事ですが、日付欄にはさっそく「(平成元年)」の表記が登場。
紙面は1〜28面まで基本的にすべて崩御、皇室関連の記事です。例外は求人広告と株価(週間市況データ)のみ。
産業界 対応に大わらわ
元号が昭和から平成に改められると、どんなところに影響があるのか具体的に記述されています。
・交通機関の切符や定期の発行日・有効期限
・電力・ガスの検診票・領収書
・コンピューター・プログラムの日付管理
・雑誌の発行日
・電化製品の保証書
・工事現場の看板の工期・許可登録日
なお、別のページでは「平成」のはんこやゴム印の注文が殺到との記述もありました。
そういえば運転免許の有効期限も元号表記ですね。
社共批判、公民は歓迎
新元号「平成」について社会党は、「国家統制と政治反動の助長につながりかねない」とのことで元号使用の強制に反対しています。
共産党も「元号法は天皇元首化・憲法改悪などの反動的策動の一環」と激しく非難、だそうです。
社会主義、共産主義からすると天皇制が認められんのは、まあ自然な流れでしょう。
昭和の終章 1・7ドキュメント
崩御されたのは06時33分ですが、一般に発表されたのは07時55分でした。
その後、皇居や日本各地で慌ただしい動きがありました。
日本各地に自粛ムードが広がりました。いろんなお店が店頭に弔意を表す張り紙をして営業してましたね。
主な流れを記事から抜粋すると、
08:00
羽田空港で場内BGMを停止、サテライトも含め広告看板の照明を消灯。
08:13
東京証券取引所の株式部長が7日の全国八証券取引所の立ち会いの臨時停止を発表。
08:15
日本中央競馬会が7、8両日の京都、中山競馬の中止を発表。
08:15
弘前中央青果ではセリを一時中断、黙祷。従業員150人は喪章をつけて業務。
08:23
国会正門に弔旗。衆参両院屋上には半旗。
08:28
長野・善光寺では山門の「賀正」の額を撤去。
08:30
福島・裏磐梯猫魔スキー場でゲレンデのBGMを停止。
09:00
山梨・富士急ハイランドでジェットコースター類の営業を中止、ホテルマウント富士での酒類の提供を中止。
09:10
北陸電力は本支店、営業所で1分間の消灯、全社員5千人が黙祷。
09:50
スケート全日本スプリント選手権大会(釧路市)で選手、役員が喪章をつけ黙祷。
10:00
米海兵隊岩国航空基地は約千人の日本人従業員に7日から3日間の特別休暇。
皇居内で新天皇の即位を告げる「賢所の儀」。
11:50
土井たか子社会党委員長が皇居で記帳。
12:30
京都・先斗町歌舞練場で芸妓、舞妓がふだん着で、静かな始業式。
12:37
皇居・坂下門の弔問記帳者は19,405人(警察庁調べ)。
13:00
高校ラグビー決勝が中止。両校優勝扱いに。
15:00
皇居・二重橋の弔問記帳者は47,140人(警察庁調べ)。
15:08
新天皇陛下が公務を終え、赤坂御所に到着。
19:00
東京・銀座ではネオンの大半は点灯しないまま。
悲しみ超え「平成」新時代
新元号の「平成」に関する記事です。
記事によると「開かれた元号」を目指し、民間人による懇談会まで開いて決められたそうです。
作家の林真理子さん:「地味だなというのが第一印象」
たしかに管理人も初めて「平成」を聞いた時、軽いというか、重みがない感じはしましたね。
もう慣れちゃいましたが。
「ガン」ご存じないまま…
記事によると陛下には「ガン告知」はされないまま、最後まで「慢性スイ炎」で通されたそうです。
また、陛下は手術の結果や今後の見通しについてほとんどお尋ねにならなかったそうです。読売新聞記者は周囲に余計な心配、迷惑をかけたくないというお気遣いだったのだろうと推測していますが、管理人も同感です。
現在だったらどうなるんでしょう。やはり病名は伏せられるんでしょうか。
テレビも全部、追悼・皇室関連番組
テレビ番組はNHK教育や放送大学を除いて、すべて特別編成の追悼番組でした。
ラジオの番組も同様です。
あの「ぶれない」ことで有名(?)なテレビ東京でさえも皇室関連番組なのはすごいです。
今上天皇が崩御された時は、テレビ・ラジオは89年と同様の対応になると思いますが、ネットの動画配信サイトはどうなるんでしょうね。
昭和天皇は歴代でもっとも長い在位期間でした。
しかしその期間中には外国との戦争、敗戦というつらい出来事があり、人知れず悩まれたり悲しまれたこともたくさんあったことでしょう。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
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